憲法30条のなぞ

憲法30条とは、「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」という条文である。私は学生のころからずっと、この条文が謎であった。ところが、先日この謎が解けた。タネあかしは最後にするが、なぜこの条文が私にとって謎であったかの説明が必要であろう。

日本国憲法同様に、帝国憲法21条は「日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ從ヒ納稅ノ義務ヲ有ス」と規定している。「ここに主権が国民に存することを宣言し」(憲法前文)国民主権を定めた日本国憲法と「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と定める帝国憲法に全く同じような条文が存在するのである。両者の違いが何なのかというのが第一の疑問であった。なんとなく帝国憲法では「義務ヲ有ス」に力点があり、日本国憲法のそれは「法律の定めるところにより」に力点があるのだろうと納得してみたものの別の疑問が発生した。

 

もう一つの疑問とは憲法84条「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。」と憲法30条の関係である。憲法84条は各国憲法に規定される「租税法律主義」を定めたものである。国民主権主義の日本国憲法下では、主権者である国民が選挙で選んだ議員が国権の最高機関である国会で定めた法律によって国民は納税の義務を負うのであって、間接的ではあるが、国民自身が自らに納税の義務を課しているのである。とするならば30条の規定「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」は、いかなる意義がある条文なのか。

憲法30条に関しては「納税の義務は憲法で定めた義務である」「憲法の定める三大義務の一つ」という人がいるが、国民主権の下での納税の義務は国民が自らに課した義務なのであって、憲法が課した義務ではない。そもそも近代憲法とは国民に義務を課すものではなく、この点で根本的な誤解がある。

「説ハ憲法学及国法学ニ退去ヲ命ジタル説ト云ウベシ、抑(そもそも)憲法ヲ創設スルノ精神ハ第一君権ヲ制限シ第二臣民ノ権利ヲ保護スルニアリ、故ニ若シ憲法ニ於イテ臣民ノ権理ヲ列挙セズ、只責任ノミヲ記載セバ憲法ヲ設クル必要ナシ」

これは憲法制定を議論していた枢密院会議での1888年の伊藤博文の発言である。「説」とは森有礼の「臣民権利義務ヲ改メ臣民ノ分際ト修正セン」とする発言をいう。(以上樋口陽一「憲法」創文社より)。

まさしく「納税の義務」のみを記載するとすれば「憲法ヲ設クル必要ナシ」なのである。これが憲法30条についての私の謎である。ところが、最近この謎が解けたのである。

 

私の疑問に対する答えは「有斐閣法律学全集憲法2 宮沢俊義 著」にあった。「納税の義務に関する規定は、マッカーサー草案にも、内閣草案にも、含まれていなかったが、衆議院の修正で、加えられた。明治憲法にも同じような規定があったので、日本国憲法でもこれを定めることが適当と考えたのであろう。租税に関しては別に84条で「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。」と定めているから、納税の義務の内容が法律で定められるべきことは、わざわざここで規定する必要はない。-(略)-国民にとって重要なことは、納税の義務を負うことでなくて、租税が公平に課されることである。」以上である。

なんのことはない、明治憲法にこの規定があったので、あったほうがよいと「臣民」を「国民」と変えただけのものであった。30条はあってもなくてもよい条文なのである。