給与の源泉徴収と年末調整-事業者の負担について

年末調整もますます複雑化し源泉徴収事務の事業者負担は大きい。給与の源泉徴収制度は、いつから始まったのだろうか。源泉徴収制度の歴史を調べてみた。

はじめに

制度もその存在が長くなると、「空気」のようなものとなってくる。制度の存在する意義(意味)を考えることもなく、ましてや、その制度が「ない」ことは想像することすらしなくなる。
源泉徴収制度は、国家の租税徴収事務の一部を事業者(源泉徴収義務者)に負担させる制度でありながら、事務費の支給は一切ないどころか、法律が強制する事務であるため、徴収義務を怠った場合や納付が遅れた場合は、なんらかの不利益(加算税など)を負うこととなる。さらに、年末調整という事務負担がある。近年、この年末調整事務が年々複雑化している上に、番号法による、本人確認義務という負担を強いられる。

国家にとって、ひいては国民にとって、税が必要不可欠なものであり、その徴税事務費が最小であることは、望ましいことであり、誰も否定しないであろう。源泉徴収と年末調整制度は、この面で有効で、優れた制度といえるのかもしれない。

しかし、この「最小徴税費」が、事務負担を事業者に転嫁した結果として、単に政府の負担が最小であるという意味であるとすれば、本来の「最小徴税費」原則とは違ってくるように思える。現実に、そのようなコスト試算を見たことはないが、現実に源泉徴収義務者の費用負担は相当になっているという現実がある。

物事には、考え方や立場によって、様々な考え方がある。「税金は必要なものであり、その徴収に協力するのは国民の義務だ」だという考え方の人もいるかもしれない。しかし「税金を納めるだけでなく、税金を集める事務費も負担する」ことに疑問を持つ人もいて、なんら不思議ではない。

法令の規定

現行所得税法は183条で、居住者に対して給与の支払いをする者は、給与の支払いをする際に、所定の税額の所得税を徴収して国に納付しなければならいと定める。

190条で、「年末調整」についての規定を置く。年末調整とは、給与支払者が、その年の最後の給与の支払いに際し、「正当税額」と「徴収税額」との差額を徴収または還付した上で、国に納付する制度である。この「正当税額」とは、年間給与総額から、給与所得控除、社会保険料控除、基礎控除などを差し引きした金額を課税総所得金額とみなして、計算した所得税額のことである。

この制度によって、多くの給与所得者は、確定申告が不要となる。

源泉徴収制度の歴史

現在は「空気」のような存在となった源泉徴収制度だが、その歴史をあたってみることから始めてみよう。

源泉徴収制度の始まり1940年(昭和15年戦時税制)

給与に対する源泉徴収制度は昭和15年税制で導入された。昭和15年といえば、日中戦争の始まりとされる盧溝橋事件が昭和12年のことであり、税制の大改正が行われた年である。給与に対する源泉徴収は戦時税制として始まったのである。

税制も異なり、貨幣価値も異なるため、具体的にイメージすることができないが、昭和15年税制での所得税は、分類所得税(分離課税)と総合所得税(総合課税)の二本立てであり、分離課税(分類所得税)が原則で、比例税率である。ただし、5千円を超えると超えた分については、総合課税(総合所得税)となり、累進税率が適用された。

給与所得と源泉徴収についての規定はおよそ次のようなものであった。
・給料、歳費、年金、恩給等を「勤労所得」とする。
・勤労所得は、雇用主の規模等により、甲種、乙種に区分する。
・10人未満の使用人を使用する個人雇用主から支払われる給料は乙種とし、これ以外は甲種とする。
・甲種勤労所得は、その年の収入金額を課税標準とするが、乙種は、前年の収入金額を課税標準とする。

・基礎控除は720円である。
・甲種勤労所得は、源泉徴収による。乙種は、所得調査委員会の調査によって賦課決定(納税令書による)される。
・源泉徴収義務者には交付金を交付する。

あらためて、特徴点をあげると、全く同一の所得であるにもかかわらず、給与の支払者の規模で勤労所得を甲種乙種に区分し、甲種は源泉徴収であり、乙種は賦課課税である。しかも甲種は課税年度の収入を課税標準とするが乙種は前年の収入を課税標準としている。

現在のように小規模法人は存在しなかったと思われるので、小規模事業者には、源泉徴収義務はなかったのであり、比例税率であることから、現在の年末調整に相当する制度は不要であった。さらに、源泉徴収義務者に対する交付金制度あった。

給与に対する源泉徴収制度がなぜ導入されたかのか、その理由は、およそ次のようなものであったと考えられる。
戦費調達で増税が急務であり、その結果納税者の数が大幅に増加することなる。従来の賦課課税方式をとった場合、人的、物的なリソースも増加する。しかも徴兵によって、人手はますます不足する。
比例税率による源泉徴収制度は、この問題を解決する手段として考え出されたものであろう。
比例税率は、税制の簡素化とう効果だけでなく「弾力性」という点でも有効であり、その後敗戦まで、毎年のように税率がアップしていく。

総合課税一本化1947年(昭和22年税制)

日本国憲法施行の年であり、税制改正の方針として、税制における所得税中心主義、累進税率による総合課税、申告納税方式などが掲げられた。

給与所得と源泉徴収についての規定はおよそ次のようなものであった。
・従来の「勤労所得」は、「給与所得」と名称が変更されたが、その範囲は従来と変わらず、給料の他に年金、恩給も含む。
・給与所得は、その20%を控除した金額を課税対象とする(現在の給与所得控除に相当)。
・給与に対する源泉徴収制度と所得税税額表の制定。
・所得金額5万円以下の者に対する税額の特例(簡易税額表)。
・所得金額5万円以下の者を対象とした「年末調整」。
・基礎控除に相当する金額は4800円であり、税率は1万円以下20%から、100万円超75%までの12段階である。

総合課税一本化、累進税率の導入によって、所得税の所得再分配機能を意識した税制となっている。比例税率と比して「複雑化」するのに対応するため現在の給与所得の税額表の原型となるものが導入された。
所得金額5万円以下の者については、本則によらず、所得金額と扶養数で税額を求める税額表方式がとられた。
年末調整に相当する過不足調整は、この特則対象者のみである。したがって「年末調整」といっても、実際徴収額とこの税額表を比較する簡易なものであった。

なお申告納税制度が採用されたのも昭和22年税制である。申告納税といっても、「予算申告納税」という制度であり、その年の所得見積額を4月、7月に申告納税する仕組みであり、現行とは異なる。現在では、申告納税制度を民主主義と関連付けて論じられることも多いが、導入の経過から言えば、敗戦後の逼迫した財政事情と、人手不足から導入されたもののようである。

シャウプ勧告を受けて1949年(昭和24年)から

1949年以後は、シャウプ勧告(1949年)を受けて、税制改正が行われた。
1949年以後の改正で、総合課税、累進税率、勤労控除(給与所得控除に相当)、基礎控除、扶養控除などの人的控除など、現在につながる制度が確立されてきた。
シャウプ勧告には、源泉徴収制度について次のように記されていることに注目したい。

「実地調査旅行のとき、納税者に質問した際雇用者はたとえかれが申告書を提出せず、源泉徴収されている場合においても、自分の所得税負担がいかなるものか十分知っていることを確認した。
しかし、この確認は俸給袋あるいはそれに付随している紙片に明確に総収入が幾何であり、各控除はなんのためで、どの位の額であるかを記入してある場合に限られている。
われわれは、俸給、または賃銀の一つ一つの支払において、このようなことを明記すべきことを、要請しもしこれに従わなかったら雇用主を厳罰に処すべきことを勧告する。そうしなければ賃銀、俸給に対する所得税は、給料に対する非人的税に堕し、遂には個人所得税制度の崩壊の原因となるであろう。」

(源泉徴収制度の歴史については、第一法規「コンメンタール所得税法」を参考とした。)

歴史を振り返って

給与に対する源泉徴収制度は、戦時税制として導入された。戦争による財政の逼迫に伴う増税、それにともなう納税者の増加、さらに、納税令書による付加課税では、人手が不足する中で導入された制度である。
注目すべき点をあげるならば、比例税率であることから、徴収義務者の計算は容易であり、年末調整に相当する制度は不要である。また一定の交付金が支給されたようである。
1947年の戦後税制で注目すべきは、一種の「簡易課税」制度である。所得金額5万円以下の者について、所得税法本則によらず、簡易に税額が確定する方式である。
シャウプ勧告については、上記に引用した部分が、源泉徴収制度の根幹にかかわる問題を指摘しているものと考える。現在どれだけの給与所得者が、自己の税金を意識しているのであろうか。

源泉徴収と年末調整制度の徴収義務者の負担

源泉徴収と年末調整によって、ほとんど給与所得者は、確定申告をし、税務署に税金を納付するという必要はない。国家もこの制度によって、膨大な数の申告書を処理し、所得税を徴収するという事務から解放される。国と給与所得者の事務負担軽減という意味では、この上なく、優れた制度と言えよう。しかし、一方では「源泉徴収によって納税者意識が欠如する、ひいては民主主義の問題につながる」という意見もある。
本稿の意図は、これらの本質的な問題を論じることではない。源泉徴収と年末調整という制度を前提とした上での源泉徴収義務者(事業者)の負担という問題である。これまで、この負担の問題は、あまり論じられことがない。

実務家としての実感であるが、税理士に申告事務を委託している小さな会社や青色申告事業者でも、かつては、相当数が年末調整事務は、税理士に委託せず自分でやっていた。ところが、毎年のように税制が変わり、複雑化しており、専門家であるはずの税理士にとっても、年末調整ソフトがないと難しい。このような状況で、年末調整を「自分でやる」という人が減っている。税理士にとっては、飯の種といえるのだが、はたしてこれでよいのか疑問である。

アダム・スミスの租税原則(最小徴税費)

アダム・スミス「国富論」の租税原則は現在も参照されることが多い。財政学のテキストなどでは、第一原則公平の原則、第二原則明確性原則、第三原則便宜性の原則、第四原則最小徴税費原則として紹介されている。

スミスの最小徴税費原則は、「人民が負担する税金と実際に国庫に入る金額の差額が少なくなること」と紹介されることが多いが、スミスの視点はただそれだけではない。「産業活動の妨害」「徴税人のたびかさなる臨検」「いやな検査」などにも言及している。当時と税制が全く異なるにしても、スミスの視点は、社会全体の納税に関するリソースを問題にしているのであって、政府の負担する徴税コストだけを論じているのでないことは明らかである。ちなみにスミス自身は「最小徴税費」という用語は使っていない。
現在の源泉徴収と年末調整制度(所得税)は、複雑すぎて、社会的リソースのムダである。しかも、複雑すぎる年末調整は企業の負担になっている。これは実体験だが、昔勤務していた事務所から年末調整の手数料請求書を預かり持参したら、社長が、社員に「私は年末調整関係ない、みんなは税金が戻るんだから、これはみんなで払いなさいよ」と言ったのでびっくりしたことがあった。もちろん、そうはならなかったが、「これは税務署に請求してくれ」と思っている社長もいるのかもしれない。

源泉徴収と年末調整についての若干の考察

源泉徴収や年末調整という制度は、国家の租税徴収事務の事業者への転嫁であることはまぎれもない事実である。これらの義務を負うことは、やむを得ないこととする考えもある。この制度を廃止して、事業者の事務負担が減ったとしても、税務職員の大幅増員が必要となれば、結局は納税者である国民の負担が増加することとなる。要は、本質的な意味で「最小徴税費」を実現することが必要である。

以下、源泉徴収と年末調整の歴史を振り返り、最近の情報通信技術の進歩のなかから、この方向性を探ってみたい。

簡易な税制

所得税の所得再分配機能を損なわず、総合課税主義と累進税率を維持することは、前提であるが、まずなによりも簡易な税制が求められる。
そのためには、複雑化した「所得控除」の簡易化と廃止も含めた検討が必要であろう。特に強制徴収保険以外の保険料控除は廃止すべきものと思う。複雑化した人的控除は、基礎控除の引き上げによって、簡素化が可能ではないだろうか。

減税方式の給付の廃止

住宅ローン控除は、事実上「給付」であって、政策上必要と判断されれば、税制に組み込むことなく、あくまで「給付」として実施すべきものと思われる。

源泉徴収段階での比例税率

現在も「報酬」は2段階の比例税率となっているが、給与でも源泉徴収段階での比例税率の導入も検討に値する。総合課税、累進税率が前提であることから、源泉徴収が比例税率であれば、年末調整の過不足額が大きくなりすぎるという欠点があるが、電子申告の普及によって、給与所得者全員が確定申告することも、可能になってきているように思われる。

電子申告による全員申告の可能性

詳細の仕様等は、ここでは検討しないが、情報通信技術の進歩、スマホの普及状況などから、年末調整廃止し、給与所得者全員が確定申告することも可能になっていきているものと思われる。

低額所得へ配慮した「簡易課税」の導入

この点では、1947年税制の「所得5万円以下の簡易税額表方式」も参考にしてよい。
当時、人手不足から、やむを得ず導入された制度であるが、給与のみで、かつ年収一定額以下の所得者については、所得税法本則によらず、収入金額と扶養人数のみから、税額が確定する方式は、税制の簡素化という意味でも有効であり、税収に対する影響も軽微であると思われる。

2022/03/31

 

「国富論」アダム・スミス

アダム・スミスの「国富論」といえば、経済学の古典中の古典としてあまりにも有名である。初版が1776年であり、時代背景をいうならば、フランス革命は目前であり「アメリカの動乱」(独立戦争のこと)が現在進行形である。
200年以上前の書物であるが、財政学の分野では、しっかりと現役であり、スミスの租税に関する原則は「スミスの4原則」として、財政学の教科書に必ず記載されている。「スミスの4原則」は、現代日本の税制を評価する基準としても十分に役立つ。しかもスミスは、国富論の中で、繰り返し「税務官吏による検査」にふれている。このことは財政学者の興味が及ばないためか、あまり注目されない。しかし、実務家である私からみると、スミスが、租税の必要性、租税の財源、課税対象という財政学的な問題にとどまらず、租税の徴収手続きまで、言及していることは、驚きに値する。「国富論」は、過去のモノでなく現在も十分に読まれる価値のある書物であり、実務家としての読み方があるのではないかと思っている。

2014年にスミスの「道徳感情論」の新訳が日経BPからでた。その本の「帯」をみると「国富論の利己主義でなく、共感こそ新しい経済社会の基礎となる」とある。この短い文章から、現在主流となってしまった「新自由主義」に、ようやく疑問符がつき始めたことがうかがえる。しかし「国富論」を通読すれば、現代の新自由主義(市場万能論)に通じる考え方を読み取ることはできない。むしろ、現代の新自由主義者は、スミスが国富論で一貫して批判した「重商主義者」に近く「経済政策を売り歩く人々」(クルーグマンの著作のタイトル)に思える。国富論を読み直しみようと思ったのは、「道徳感情論」がきっかけである。スミスの4原則は、200年の時を経過しながら生きている。

スミスの4原則とは

スミスの租税4原則は、一般に(1)公平の原則、(2)明確性の原則、(3)便宜性の原則、(4)最少徴税費の原則と訳されている。しかし、これらは後世のだれかがそのように要約しただけである。この「公平原則」から、「垂直的公平」とか「水平的公平」といった議論に結びつけるとすれば、スミスのいわんとしていたことから、乖離してしまうように思われる。「最小徴税費の原則」もしかりである。4原則を現代に生かすためには、国富論全体から読んでいく必要がある。

国富論における4原則の位置づけ

4原則は、後の章で展開される当時のイギリス(フランスもの含む)の税制を評価する基準として第5編(最終編)冒頭におかれ、あるべき税制の指針でもある。
国富論最終編の第5編は、「主権者または国の収入」(山岡洋一訳)であり、現在でいう財政学である。構成は次の3章からなっている。

第1章 主権者または国の経費
第2章 社会の一般財政収入の源泉
第3章 政府債務

第1章は政府が負担すべき費用の内容と、租税の必要性であり、第2章は租税の財源と税の在り方、すなわち課税の対象と負担者(負担すべき者)の原則であり、この原則に基づく当時の税制の批判、あるべき税の姿の提案である。第3章は国債(政府債務)である。

「国富論」のテーマ

そこで、今少し視野を広げて、そもそも「国富論」のテーマとは何かといったことに少々立ち入っておきたい。

「国富論」は全体で5編からなるが、通読すると分かるように、そのテーマは「重商主義」批判であり、重商主義の影響により、「国の豊かさ」を損なう政策が政府によりとられていることを実証的に明らかにしようとしたものである。この書物は、スミスの生存中に5回の改訂を経ており、スミス自身が構成を緻密に組み立てたものである。したがって、その構成や章立てはこの書物の理解に役立つ。第1編は、有名な分業から始まるが、内容は「価値論」「分配論」に相当する。最後が第5編第3章の「政府債務」である。

「価値論」のような抽象的な概念規定から始めたのは、重商主義を根本から批判するためであったと思われる(私にはそう読める)。なぜならば、スミスによれば重商主義とは、商人階級の「詭弁」であり、商人階級が、議会、地主、貴族の説得に成功し国家の政策となったものである。理論というよりは当時の「常識」「気分」に近い。したがって、これを根底から批判するためには、抽象的な概念から始める必要があったものと思える。これは現代でも変わらない。理論的な裏付けなく「常識」となっている似非理論を批判するのは、実に大変なことである。なお重商主義とは、国が金や銀を保有することが豊かさであり、そのためには貿易差額を得ること、より多く輸出して少なく輸入することであるという「理論」であり、リカードは重商主義の目的を「外国との競争を禁じ、国内市場の価格を引き上げるもの」と定義している。

国富論の最終章が「政府債務」(国債)であることも興味深く、政府債務を償還するための指南書だともいえる。以上を前提とするとスミスの4原則は次のように読まれるべきである。原則は現在でも十分に価値をもつものであり、現行の税制(改正案も)は、4原則に照らし評価、批判されるべきである。なお以下の記述は山岡洋一訳(日本経済新聞社)および、岩波文庫旧訳(松川、大内訳)によっている。

4原則を読む

第一原則

一般に「公平原則」と呼ばれる原則であるが「あらゆる国家の臣民は、各人の能力にできるだけ比例して、いいかえれば、かれらがそれぞれ国家の保護のもとに享受する収入に比例して、政府を維持するために貢納すべきである。」(松川・大内訳)と書かれている。ここでスミスの考える「公平」とは、平等的な意味合いでの「公平」や資力があるからという意味での「応能」ではなく、かれらが享受する収入は、国家が負担する経費があってこその収入である、とする考えが明確に打ち出されている。

スミスの言う公平とは、国家が支出すべき経費の財源は租税であり、よって、この支出によって恩恵を受ける階層が、「国家の保護のもとに享受する収入」に比例して負担すべきであるという、「応益負担原則」に近い。

スミスは、国家が負担すべき費用を大きく、(1)防衛費、(2)司法費、(3)公共施設・公共機関の費用、(4)主権者の権威を保つための費用と区分している。ここには、現代国家の重要な支出項目である「社会保障費」はない。この時代のイギリスでは健康保険制度がないことはもちろんのこと貧民救済は教会(教区)の役割であった。

第一原則のもう一つの「公平」は、課税が偏らないことである。スミスは、税金の財源となる収入を、土地の地代、資本の利益、労働の賃金としており、一つの財源にのみ課されるとすれば、それは不公平であるとしている。

以上から、第1原則を私なりに読むならば、「税金は負担すべき人が能力に応じて負担すべきである」となる。ただし、負担する能力(担税力)は、本人の努力や幸運だけによるものでなく、「政府の保護(SUPPORT)があってこそ」であり、ここから、累進税率の根拠を導くことさえできよう。もう一つは、課税が特定の所得階層に偏ってはならないということである。

なおスミスは、税金は、しばしば立法府が予定した人々(階層)と異なる階層の負担となることを詳細に論証しており、単純に法律で定めた「納税義務者」の負担となるとは、考えていない。様々な税金が、どの階層に影響を及ぼすか詳細に分析している(後年リカードによりこれまた詳細に反論される)。租税帰着の問題である。これも税制を評価するために、重要な視点である。

第2原則

第2原則は「明確性」の原則であり、納税者が負担する税金は、本人からみても他者からみても恣意的であったてならず、金額はもとより、支払時期、支払い方法は明確であり平易ものなければなないとする原則である。

これは、現代の租税法律主義の「明確性の原則」に通じるものである。また、第2原則の意義として、この原則がなければ、「徴税人の思いのままとなる」としており、租税法律主義の「合法性原則」に通ずる。

第3原則

「便宜性の原則」等といわれるが、スミスの視点は「払う側」にある。税金は納税者にとって、もっとも便宜がある方法と時期に行うべきであるとする原則である。この原則から奢侈品(贅沢品)に対する課税(内国消費税=物品税)は、消費者が購入するときに課税した方がよいという結論が導きだされる。

第4原則

第4原則は一般に「最少徴税費の原則」等と呼ばれるが、内容は次の4つである。

(1)徴税費用は最小でなければならない。
(2)課税は産業すなわち雇用の元本を減少させてはならない。
(3)犯罪(租税犯)の誘因となる税は避けるべきであり、刑罰は適正でなければならない。
(4)徴税人による検査は、納税者に負担、不愉快な思いをさせることになり、広い意味では「費用」である。

リカードは、この第4原則を「人民のポケットから出た金額と国庫に入る金額の差を最小にすること」と要約している。これも私なりに読めば次のようになる。

徴税コストが少ない税金が選択されるべきであり、産業活動の元本に食い込むような税金は、税金の原資さえ台無しにしてしまう、ということである。ここで「厳密には費用とはいえないが」としながらも税務調査を納税者の負担する費用に入れていることが注目される。

当時の租税犯の大半は密輸であり、これを前提として(3)は読まなければならない。スミスは現在の「保税倉庫」を使った関税システムを提案している。

以上が実務家としての私の読み方である。

日本経済新聞社 国富論