「公共の福祉」という言葉

日本国憲法には「公共の福祉」という言葉が使われている。12条で、国民は基本的人権を「公共の福祉のために」利用する責任を負うとし、13条では、国民の権利については、「公共の福祉に反しないかぎり」国政上で最大の尊重を必要とすると定める。22条(居住、職業選択の自由)、29条(財産権)では、「公共の福祉」による制限がある旨を規定している。

「公共の福祉」は”public welfare”の訳語である。
英和辞典を引いてみると”public”には、「公共の」「公衆の」「公(おおやけ)」「社会全体の」という意味であり、”welfare”の語源は”wel”「うまく」+”fare”「やっていく」となっている。意味合いとしては「みんなで、うまくやっていくこと」ではないだろうか。明治以来の近代化の中で、日本の法体系は、西洋法を継受して(お手本として)制定されてきた。”welfare state”は、福祉国家と訳されており、” public welfare ”に、「公共の福祉」という言葉が選択されたのではないかと思われる。

しかし、私の中では「公共の福祉」という言葉には違和感がある。その理由は、現代の日本語で使われる「公共」も「福祉」も、”public welfare”本来の意味とは違うのではないかという疑念である。多くの人は「公共の福祉」という言葉には、なんとなく「全体の利益」という印象を抱くのではないだろうか。

以下「憲法Ⅱ」新版(宮沢俊義)からの引用である。「公共の福祉およびそれに類する言葉には、多かれ少なかれ全体主義的ないし超個人主義的な意味が伝統的に伴いがちであるが、もちろん日本国憲法における公共の福祉にそういう意味をみとめることは許されない。」「日本国憲法が、その条項に、公共の福祉をもち出したことは、立法技術的にいって無用であったとみるべきであり、また、それは、賢明でなかったとも評される」。また尾高朝雄論文「公共の福祉」から「正しい意味での個人主義が根を下ろしていない社会でこのような概念を濫用することは、戦前および戦時中の滅私奉公主義に接近する危険もはらみうる」としている。

やはり「公共の福祉」という言葉には、全体主義的な匂い(水戸黄門のご印籠のような)があることは、まちがいなさそうである。

参考文献
宮沢俊義「憲法Ⅱ」新版